vol.1
府営水道が、なぜ過大な水量を押し付けるに至ったのか @
府営水道(乙訓系)の水源である日吉ダムは、
1961年に水資源開発公団により、治水目的のダムとして当初の計画がされました。
1972年には利水も行う多目的ダムに変更され、十分な水需要調査もないまま、
「京阪神地区に毎秒3.7トンを供給する」と利水容量が定められました。
京都府は当初、乙訓地域の地下水過剰くみ上げへの対策として、
「府の責任で工業用水道をつくる」方針をもっていました。
「桂川治水利水対策協議会」の下流部会(府・向日市・長岡京市・大山崎町・京都市)では、
事業所へのアンケートなどで、将来の工業用水使用量の調査を行い、
それに基づいて1981年には日吉ダムからの必要水利権は0.86トン/秒、その配分は次のように定められました。
このとき、工業用水道の単価は、30.3円/トンを想定していました。
それでさえ、当時の事業所が地下水をくみ上げている費用(18.0円/トン)よりも高いため、
工場が水を買ってくれるのか、疑問視されていました。
ところが、3年後の1984年、府の発表した「乙訓地域水道基本計画調査結果」は、
これまでの方針をまったく変質させるものでした。
「上水道と工業用水道をそれぞれ設置すると、コストが高くなりすぎる。
だから府は上水道だけをつくり、責任水量制で運営する」というのです。
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