長岡京の「水」

水道問題の歴史-運動vol.3

府営水道の導入強行と、市民の運動の発展 A

2000年、ついに府営水道が導入され、水道会計の大赤字、値上げ必至の状況が明らかになりました。
日本共産党は府営水道の「カラ料金」(使ってもいない水に料金を払う)のしくみを市民に知らせ、
「水道料金値上げ反対」「基本水量引き下げを」の運動に力をつくしてきました。

04年には17599筆の「水道料金値上げ反対」署名が市議会に提出。
06年には乙訓2市1町共同で32180筆の「府営水道協定見直し」署名が府議会に提出。
08年には7390筆の「08年度の基本水量引き下げ」署名が市長に提出。

これらの請願署名に、賛成したのは日本共産党だけでした。
自民党(平成3会派)・民主党(民主フォーラム)・公明党・「無所属市民派」はそろって反対しました。

しかし市民の願いはやはり「くらしの水は地下水で」です。

今後の水道水に望むこと

04年に市の行ったアンケートでは、「地下水はコストがかかる」という前提での不公平な設問でしたが、
多くの市民は「高くなっても地下水優先で」と答えたのです。
その声を受けて、過剰な府営水の押しつけの中でも「地下水と府営水の割合は50%ずつ」が市の方針となっています。

このようなねばり強い運動のなかで、06年には「府営水の基本水量見直し」をかかげる真鍋大山崎町政が誕生。
京都府の理不尽と真正面から対決する運動のなかで、08年・11年・15年と、連続して府営水道料金の値下げを勝ち取りました。
そして乙訓2市1町の水道料金も、少しですが下がったのです。

日本共産党は、「市民の飲み水のあり方は市民が決める」をモットーに、引きつづきがんばります。