長岡京の「水」

水道問題の歴史-府営水vol.2

府営水道が、なぜ過大な水量を押し付けるに至ったのか A

府が工業用水道をつくるならば、府が工場に直接水を買ってもらう責任を負いますが、
上水道の場合、府の責任は市町に水を送るだけで、工場に水を買ってもらうのは市町の責任になります。

しかも、「責任水量制」では、地元の工場が水を買ってくれるかどうかにかかわらず、
市町は府から割りあてられた水を全部買い取らなければなりません。
しかし、計画当初では30円/トンの想定だった工業用水が180円/トンの上水道になったら、
工場がたくさん買ってくれるはずがありません。
当時、地下水のくみ上げにかかっていたコストは18円/トンなのです。
この時点で、府は水供給の計画そのものを大幅に見直すべきでした。

また、0.86トン/秒の水利権自体も、もともと過大な数字だった上に、
82年には京都市が計画から離脱したにもかかわらず、利水配分の総量は減らすことなく、
水需要をさらに多く見積もってつじつまが合わせられました。
たとえば、「2000年の長岡京市の人口は9万人」としたり、
「1人1日最大給水量は718リットル」にするなどです(2014年の1人1日最大給水量は364リットル)。

このような異常な府営水押し付けは、強権的に行われました。
1986年、乙訓2市1町は府に府営水道の受水を「申請」しましたが、
府からあらかじめ割りあて水量が通知されていました。
また、大山崎町が水道事業変更の認可を申し出るとき、水量を減らそうとしたこともありましたが、
府は「1万2千トンでなければ供給水量確約書を交付しない」と返答しました。
確約書がなければ厚生省の認可が下りないため、大山崎町はやむなく府の言うとおりの水量で申請したのです。