長岡京の「水」

水道問題の歴史-運動vol.1

「地下水を守れ」市民の運動が、画期的な条例をつくらせた

長岡京市は高度成長の時代、「良質な地下水が豊富」とアピールして大企業誘致にのりだし、
工場がたくさん立地しました。
その結果、地下水のくみ上げが激増し、地盤沈下が進行。市民から「地下水を守れ」の声がおこりました。

日本共産党は1969年、地下水保全の政策を発表。
党の要求で、長岡京市議会に「水資源対策特別委員会」が設置されました。
委員会は精力的に調査を行い、「水果てるところ地果てる」という報告書を発表しました。

1976年、市はこの報告書を受けて、「地下水採取の適正化に関する条例」を制定しました。
条例では、一定規模以上の井戸設置は許可制とし、取水量の報告義務、水の再利用、市の立入調査権などを定めています。
私有地内での地下水くみ上げに法律の規制がないもとで、
「地下水は公水(市民みんなの水)」と明記した条例は画期的であり、全国の注目を浴びました。

しかし条例ができたといっても、地下水に料金がかかるわけでもなく、企業の節水努力は進みませんでした。
水道局は市民の飲み水を確保するため、水道拡張工事を進め、
事業費負担のために49.2%もの水道料金値上げを提案してきたのです。

「企業の過剰な地下水くみ上げが原因なのに、市民に全額転嫁するのはおかしい」と、
いっきに1万人の署名が集まり、「企業から協力金を徴収すべき」という世論が高まりました。
日本共産党は「おいしい地下水を守る市民実行委員会」に参加し、市民とともに運動に力をつくしました。

ついに1981年、市は「財団法人長岡京水資源対策基金」を立ち上げました。
地下水くみ上げ企業から協力金を徴収して、協力金は地下水涵養などのために役立てられています。